
母子家庭に育英資金を提供する組織がアンケートを行った(今朝18日・長崎新聞3面)。
母親のパートなどでの平均給料12万円は支出20万円を大幅に上回っている。親類の援助や奨学金が頼りだが、恒常的な赤字とか。
父親を失った原因は、7割が病死で、2割が自殺(最近は「自死」という言葉を使う人もいる)。そのときの母親の平均年齢は47歳弱でそうである。私事で恐縮だが小生3歳の時から母子家庭。亡母は25歳の時離婚、それ以来再婚もせず、女手一人で子供2人(妹が一人)を育ててきた頑張り屋さんであった。
私の長女(30歳)は長崎市内に嫁ぎ、しょっちゅう実家へ帰り、子供2人(5歳と1歳9ヶ月)を両親に預けては友達と食べに行ったり飲みに行ったり。次女(27歳)は家で両親のもとぬくぬくと独身生活を楽しんでいる。母子家庭の厳しさを教えてやろうと思っている。 (唐獅子牡丹)

2月21日(木)時津小学校4年生89名の総合学習発表会があった。
これまで、ホタルの飼育から始めた環境学習も、更に海や山、川、森について勉強をし、今回は環境を護るため自分たちで何が出来るか、「調べる」「活動する」「呼びかける」ことについて発表しました。
ウォーターフロント公園やその海岸では、海岸に打ち寄せられるゴミの多いこと、ゴミの種類ではプラゴミやペットボトル、タバコの吸い殻が多いことを報告した。
小生たちが海岸のゴミ拾いをする時もタバコの吸い殻は意外と多い。街のゴミをめぐる環境問題は大人のマナー、意識改革が大事なようだ。
子どもたちは、それぞれグループを作り、温暖化、水問題、などについても研究し、「節水」「節電」などについて何をしたらいいか?どんな取組が出来るか?報告しみんなに呼びかけていた。
発表会には、コミュニティ時津から3人が参観し環境について一緒に考えアドバイスした。(蜜蜂ブン)
2月10日佐賀県の有田町で講演会が開かれた。講師は宮城県気仙沼湾で漁を営む畠山重篤氏。貴重な話だった。 
畠山さんは高校卒業後家業の漁師になる。気仙沼の海を護るには山を護ることだと気づき、根室山に植林運動を始めた。今やその数4万本。
一方、気仙沼湾では牡蠣の養殖で水質の浄化に努め、地元の子どもたちや県外からの体験学習を受入れるなど環境学習に力を入れたきた。これまでに日本全国から受入れた数、1万人。全てが気が遠くなるような数字である。 
気仙沼湾に注ぐ大川には鮭やウナギが上るようになったという。
「森は海の恋人」運動は中学校の教科書に取り上げられたり、大学入学試験で小論文の課題になるまでになった。そして今、京都大学の教授も務めておられる。
尚、この講演会はACSA(アジアの子どもたちを支援する会)と母体の企
業が主催してもので、ACSAはカンボジアに学校を7校職業訓練校を1校建設している。昨年11月コミュニティ時津のカンボジア訪問一行はこの内の3校を訪問した。当NPOコミュニティ時津の会員友岡さんはACSAの会員でもあり、この講演会の頭でカンボジアの報告を行った。
写真1、2は畠山さん、写真3友岡さん。(蜜蜂ブン)
平成20年2月6日(水)、平成19年度長崎県人権教育中央研修大会、第9回西海市・西彼杵郡人権教育研究大会が時津町のカナリーホールをメイン会場に時津公民館などで開かれた。
午前中は漫画・テレビドラマ「家裁の人」の原作者毛利甚八さんの「桑田判事はいま、何を思うのか?」の演題で話をされた。 午後からは、五つの分科会にわかれ、それぞれの分科会で報告がされたあと、質疑討論がなされた。 (登録参加数470人)
第4分科会(登録参加数128人)ではNPO法人コミュニティ時津がカンボジアのこども 時津の子どもと題し、カンボジア支援活動の報告を青山が、いただきますクッキング教室の活動報告を中原が行った。
また、同じ第4分科会の後半では長与町教育委員会村山さんが「平和コンサートいin長与」〜長与から平和の祈りを発信する住民参加型コンサート〜」と題して報告があった。
これまで、この種の大会について詳しく知らないが、今回は5分科会中3分科会をNPOが報告をしている。第5分科会はフィールドワークで「井上光晴の文学とキリシタン史跡を訪ねる旅」。中浦ジュリアン記念公園や横瀬浦などを訪ねた。写真は長与教育委員会の平和コンサートの取組みの報告。(蜜蜂ブン)

2月3日(日)9:30〜11:30、時津小学校の音楽会が開かれた。小学校1年生から6年生まで各学年やクラブなど総出演。
お母さんたちも、子ども会のハッピを着て我が出番とばかりにヨサコイを元気よく踊っていた。もしかしたら「モトヤン」だったかもしれないお母さんも、今日は子どもたちに尊敬されたに違いない。 この頃小学校の音楽会は企画運営委員会をつくって実施されるようだ。学校の先生たちが発表したり、保護者が発表したり、全員で歌ったりして楽しかった。
全員合唱は、「大きな古時計」と「春がきた」。小生は貰った歌詞カードを見ながら口をモグモグと動かした。
小生が小学生のころは、劇の発表会があってた。親たちが観にくると、緊張しながらも、嬉しく楽しいものだった。浦島太郎に扮してカメに載った時、カツラがコードに引っかかってとれて、慌てて拾ってかぶったような・・ 思い出した。
冷え切っっていた体育館も、終る頃には父兄や自治会関係者ら観客の熱気で次第に暖まって行った。(蜜蜂ブン)

足掛け3日で退院。右手は点滴も終わって自由に。しかし痛いとみえて着替える度に泣く。大人二人がかりで袖を通す。手術した右腕が重く起き上がる事も出来ず(動かさないようわざと重くした?)寝てばかり。日頃活発だったので、いかにも悔しそうにイライラしているのがよく判る。「今が肝心。チャンと骨がくっ付くまでは我慢だ!」と話が解かる年頃なら言ってきかせるのだが、なんせ話せる単語はパパとママだけ。お陰で骨折したのが数日判らなかった。
「子を持って知る親の恩」と言う言葉があるが、小生の場合「孫を持って・・・・」。我が子が生まれた頃は仕事一途で、仕事を持つ女房の子育ての苦労など考えても見なかった(ましてや子育ての協力など・・・)。それが、毎日遅い帰宅の亭主を持つ娘の子育てを見て、「こりゃ大変バイ」と日頃思っていた。そして、いつも寝坊の女房が2日間ほとんど不眠不休で看病した。やはり母(祖母も)は強し!
「彼方さん」からブログで激励の言葉をいただいた。「蜜蜂ブンさん」からは電話で。感謝、感謝!!(唐獅子牡丹)

深夜、早朝、夕方と、市民病院の小児科病棟に入院する孫(男児1年7ヶ月)に付き添った。6人部屋。孫はもちろんアチコチから幼児の泣声や苦しそうな咳が聞こえてくる。カーテンが閉められているので様子は判らない。廊下を忙しそうに行き来する看護婦さんの足音も聞こえる。夜が明けると付き添いのお母さん達が洗面所に出入りする。遠くに時を告げる鐘の音。昔の仕事がよみがえり不謹慎にも「これはラジオ・ドキュメントの世界だ」と思った。
さて写真の孫。28日夜、左上腕部骨折で緊急手術。数日前から気嫌が悪く泣いてばかり。、突発性の発疹も出ていたので、母(小生の長女)が骨折を見逃したらしい。内科の先生が「左腕を動かさない?」と骨折に気がついた。その晩に市民病院へ。レントゲン写真を見た外科の先生が「手遅れになってはいけない。一刻も早く」というので、その2時間後には手術開始。母は最悪の事(不具者になる?)を考えいるのか、見落とした責任を感じているのか、泣いている。
1時間半で手術終了。手術後のレントゲン写真をかざしながら、「入れた線(鋼線?)をとる
手術が3週間後。小学高学年頃になれば、骨の成長具合でまっすぐに付いたか、外に曲がるか内にまがるか判る。でも多分大丈夫」。両親もホッ。その晩は麻酔が切れてかなり泣いたが、翌日はミルクをのんで笑顔も。しかし総じて気謙は悪い。なんせ、左腕はガッチリと石膏で固めてその上に包帯、右腕には点滴の針が刺さっている。両手の自由がきかないのだ。(唐獅子牡丹)
今朝(12日)のNHKラジオで聞いた話。フランスに住む日本人の主婦にインタビューしていた。フランスは少子化対策に成功した国だそうです。その人の主張は「日本は出産手当の増額など考えているようだが、少子化対策の根本は女性の解放だ」と言う。3つの要因を上げていた。
(1)女性の自由化〜出産、避妊、堕胎を選ぶ権利を女性に与え周りがその自由を保障する。「子供がいる人は夫もいる」という常識を打破すること。つまり「シングルマザー」の社会的承認。
(2)カップルの生活の援助〜資金的な支援、保育施設の充実など、「産んでも大丈夫」と思わせるよう国の援助を制度として確立しること。
(3)女性を「母親として」拘束しないこと(社会とのつながりを絶たない)。出産の為いったん職場を離れてもできるだけ早くもどれるようにする。育児休暇(無給)の間もある程度の収入を国が補償する。
〜昔の人間にはすこし過激なような気もするが、フランスでは実際に国が実施して「少子化対策」に成功した事例だそうです。国会議員のみならず、まずは我々自身の頭の中も「改革」する必要がありそうです。
時津町立時津保育所に七夕飾りが登場、短冊に子供たちの願いが書かれている。
我が家での孫との会話
「おじいちゃん願い事はほんとうにかなうのかなぁー」
「ああかなうよ、心の中で一生懸命お願いするんだよ、ところで願いごとは何にしたの」
「好き嫌いをしないで何でも食べるにした」
「いいお願いだね、お父さんもお母さんもよろこぶぞー」とここまではよかったが、「おじいちゃん雨が降るとおり姫星とひこ星は会えないよね」ときた、「そんなことはないだろう」とおじいちゃん、「だって天の川には橋がないので会えないんだよ」という。そこでおじいちゃんは困ったが、「1年に1回しか会えないので、何とかして会うだろう」といったが、納得のいかない孫は「橋を架けんと駄目さー」といい、すったもんだの口論?になった。最後は「おじいちゃんのうそつき」とうそつき呼ばわりをされてしまった。そこでおばあちゃんが登場、「先生にきいてみたらー」の助言に救われた。
今頃、先生はどのような答えを出しているだろうか?孫の味方かおじいちゃんの味方か、明日、答えを聞くのが楽しみである。
孫の目線まで降りての会話も難しい、保育所の先生たちも、大勢の幼児たちとの毎日のお付き合い、大変だろうなと思った。(彼方)





