投稿日:2008-05-04 Sun
初めての経験であったが、今日は午前1時からと2時から2つの葬式に参列することになった。一つは98歳の親戚のおばあちゃん、もう一つは60歳で退職したばかりの元会社の同僚。生前は釣り名人で名を馳せた男であった。不謹慎ではあるが両者の年の差38、あと38年も生きればどれだけの魚を釣り上げ、どのような楽しみがあったであろうかと思い、若くして逝った彼が不憫になった。天命といえばそれまでだが、どちらが先に逝くかは神のみぞ知る。順番はないのである。98歳のおばあちゃんの親族は後2年生きていたらと言う。60歳で逝った彼の友人たちはあと10年は生きてほしかったと言う。小生も来年は古希、欲を言えば切りがない、その時その時に全力投球「悔いのない人生」を送ろうと思っている。
ちなみに小生の愛唱歌は石原祐次郎の“わが人生に悔いはなし”。ほろ酔い機嫌で歌いだすと河島英五の“時代おくれ”のように「マイクがきたなら微笑んで十八番をひとつ歌うだけ」というわけにはいかない。人に迷惑をかけていることであろうが、これもまたわが人生。(彼方)
「彼方」さんのネイミングがどこから来ているのかなぁ、とかねてから思う度に、いいつもカールメブッセの次のポエムを想い出しています。
"山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいう。 ああ、われひとと尋(と)めゆきて 涙さしぐみ、かえりきぬ。 山のあなたのなお遠く 「幸」住むと人のいう。"
同じ年の彼方さんと今日葬儀の場で出会い、共に間もなく古希を迎える者同士、ひょっとしたら、来し方行く末を想う中で、常に山の彼方を眺め、かつ求めながら力強く歩み続けていこう、というような想いが込められているのかなぁ、と思いました。 これからとも、コミュニテイ時津のさらなる伸展のため、ご活躍の程を心から祈念しています。
"山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいう。 ああ、われひとと尋(と)めゆきて 涙さしぐみ、かえりきぬ。 山のあなたのなお遠く 「幸」住むと人のいう。"
同じ年の彼方さんと今日葬儀の場で出会い、共に間もなく古希を迎える者同士、ひょっとしたら、来し方行く末を想う中で、常に山の彼方を眺め、かつ求めながら力強く歩み続けていこう、というような想いが込められているのかなぁ、と思いました。 これからとも、コミュニテイ時津のさらなる伸展のため、ご活躍の程を心から祈念しています。
彼方さんお邪魔しますで、「いつもカール・ブッセ」とすべきところ、酔いのせいもあって手許が狂い「いいつもカールメブッセ」として投稿しました。改めて訂正させていただきます。(老潜人)
2008-05-07 水 21:40:00 |
URL |
老潜人
[編集]
老潜人さんご投稿ありがとうございます。老潜人というハンドルネームもダイバーであればこそのネーミングと感心しています。
「彼方」というネーミングは、おっしゃる通り“山のあなたの空遠く”からきています。中学の教科書に載っていたポエムですが、「後期高齢者」予備軍となった今も事あるごとに思い出し、山のあなたの空遠くにある「幸」を追い続けています。(彼方)
「彼方」というネーミングは、おっしゃる通り“山のあなたの空遠く”からきています。中学の教科書に載っていたポエムですが、「後期高齢者」予備軍となった今も事あるごとに思い出し、山のあなたの空遠くにある「幸」を追い続けています。(彼方)
2008-05-07 水 21:59:16 |
URL |
彼方
[編集]
小生の老母は89歳で逝去しました。せめてあと8ヶ月、90歳まで生きてほしかったと思います。昨日(9日)実家(松浦)の我が家へ仏壇が入りました。母は生前「仏壇も石塔も要らんバイ。そがんとば作ったら早よ死んでしまう」と笑っておりましたが・・・。墓地の場所もほぼ決定。あとは間もなく小生も入るであろう(2年足らずで古希)石塔を建て、納骨しなければなりません。
一昨日(7日)は江迎港(北松浦郡)から1時間船を走らせ「鯛釣り」。釣果500gと2kgの2枚。船頭(7枚釣った)から4枚貰い、翌日は午前4時から起き出して3枚におろし、親戚、近所に配った。60歳で亡くなった「釣り名人」の御冥福を心よりお祈りする。(唐獅子牡丹)
一昨日(7日)は江迎港(北松浦郡)から1時間船を走らせ「鯛釣り」。釣果500gと2kgの2枚。船頭(7枚釣った)から4枚貰い、翌日は午前4時から起き出して3枚におろし、親戚、近所に配った。60歳で亡くなった「釣り名人」の御冥福を心よりお祈りする。(唐獅子牡丹)
2008-05-10 土 04:49:17 |
URL |
唐獅子牡丹
[編集]
小生が29歳の時に、69歳で母が亡くなり、父は小生が36歳の時、ブラジル滞在中(滞在期間5年4ヵ月)に亡くなった。海外にいたこともあって父の最期はみとれなかった。そんなこともあって、2年後に妻の父が危篤との報を聞いたときに、即、一時帰国させることを決断し、1番下の息子(当時3歳)と一緒に帰国させた。幸い、間に合って1週間は一緒に過ごせ、義父も妻(わが子)と孫の姿を見て喜んでくれたとのことであった。
母は生前「下の子を可愛いがると言うが、親と接する時間が少ない分可愛がるんだ」と言っていた。8人兄弟の下から2番目の小生は可愛がられて育ったのかもしれない?それに見合うだけの親孝行をしなかったような気がしている。
「親孝行したい時に親はなし」というが、親が亡き今、こうして事あるごとに父母を思い出すことが、何よりな親孝行ではないかとも思っている。
欲をいえばキリがない、成人するまで親が居てくれたことに深謝!(彼方)
母は生前「下の子を可愛いがると言うが、親と接する時間が少ない分可愛がるんだ」と言っていた。8人兄弟の下から2番目の小生は可愛がられて育ったのかもしれない?それに見合うだけの親孝行をしなかったような気がしている。
「親孝行したい時に親はなし」というが、親が亡き今、こうして事あるごとに父母を思い出すことが、何よりな親孝行ではないかとも思っている。
欲をいえばキリがない、成人するまで親が居てくれたことに深謝!(彼方)
2008-05-11 日 22:49:43 |
URL |
彼方
[編集]
△ PAGE UP

