
西そのぎ商工会の呼び掛けで実施したフリーマーケット「時津どっと混む」は、好天にも恵まれ、ウォーターフロント公園(時津町)は2万5千人の人出で賑わった。
3月15日(土)に当法人(NPO法人 コミュニティ時津)の呼び掛けで、ごみ拾いを行った同公園の沿岸に目をやったところ、ペットボトルやレジ袋、ジュース缶などが山のように漂着していた。
清掃後、1週間もすると元の木阿弥で、いたちごっこが続いている。川から海へ流れ込んだごみが、北風に乗って時津港に漂着したものが殆どと考えられる。自分の車のごみを平気で公共の駐車場に捨てて行く人がいるが、このような行為を罪悪と感じるような意識改革を行う必要があるのではないだろうか。
そのためにボランティアのごみ拾いに参加してもらうことや広く参加を呼び掛けることが、啓発活動になっているのではないかと思っている。当法人が行う時津川の清掃(11月)と時津港の清掃(3月)は、年に各1回と回数は少ないが、年々参加者も増えてきているので、環境意識の高まりの結果だと思っている。(彼方)
天命といえばそれまでだが、どちらが先に逝くかは神のみぞ知る。順番はないのである。98歳のおばあちゃんの親族は後2年生きていたらと言う。60歳で逝った彼の友人たちはあと10年は生きてほしかったと言う。小生も来年は古希、欲を言えば切りがない、その時その時に全力投球「悔いのない人生」を送ろうと思っている。
ちなみに小生の愛唱歌は石原祐次郎の“わが人生に悔いはなし”。ほろ酔い機嫌で歌いだすと河島英五の“時代おくれ”のように「マイクがきたなら微笑んで十八番をひとつ歌うだけ」というわけにはいかない。人に迷惑をかけていることであろうが、これもまたわが人生。(彼方)
自然環境破壊が進む中で、この頃野鳥、トンボ、ほたるなど自然の生物や水性植物との共生を求めてビオトープを楽しむ人が増えている。
ここは、当法人会員が進めているビオトープ。山から流れてくる水を有効に溜めて適度に流しながら作られており、メダカ、ゲンゴロウ、トビゲラ、糸トンボ、ヤゴなどがいる。特にメダカが元気。
珍しいものでは、サンショウウオも。産卵は今の季節。タマゴを生んだサンショウウオは山に帰り、生んだタマゴはサンショウウオになって7,8月頃山に帰るとか。
水生植物も植えられており、菖蒲が今うつくしい。写真は布袋あおいや浮き草(名前は知らない)、クレソンなどがたくさんある。クレソンは食べることも出来て、身近に、自然の営みが楽しめる。 (蜜蜂)
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カンボジアは今雨季、10月いっぱいまで雨季です。事業家で当NPOの訪問団を受入れてくれるキムさんからのメッセージにも、「また雨です」とあった。日本人も梅雨期はうっとうしく感じますから分ります。
文面の最後には、文房具を沢山もって来て下さいとあった。
昨年シアヌークビルの学校で会ったジャイカの女性は体育の先生。(音楽もだったかな?)。雨季には体育が出来ないので、日本の絵本や童話をクメール語で読み聞かせをしたいとあった。しかし、クメール語も難しいらしい。来年の雨季からでしょうか?
毎年訪問する孤児院の会報には、「4月はもっとも暑い月」。子どもたちが体調を崩した。肺炎や喘息になった、とある。 カンボジアだでは医療、衛生面も充実しておらず亡くなる子も多い。
写真はその孤児院の子どもの昼食です。責任者の方は、孤児院を卒業したあと、食べて行けないと困るので、贅沢はさせないとおっしゃっていた。これだけ食べられれば栄養面では問題ない。(?) 当NPO訪問団は、昨年はお米をプレゼントしたが、すぐ無くなるらしい。
食欲を自制出来ない飽食日本人より色んな面で幸せかも。
文房具、絵本、お米 カンボジの子どもには、なんでも必要なのですが・・・・(蜜蜂)
食べ残したのは多分接待された側。自分が金を出さないので「勿体無い」感覚はゼロ?「接待される側」から「接待する側」への食べ残しリレー。「飽食日本」としては「資源の再利用」?
でも、高額の料理代をとる一流の料亭がやっていたとはねぇ。ほかの店でもやっているのでは?と思いたくなる。
先客の「食べ残し」を食べない為の策はただひとつ。「先客」になる恐れのある人が全部食べること(お金が潤沢ではない者にとっては至極当たり前)。食べなくても、せめて箸で突っつき回しておくこと? (唐獅子牡丹)

3人目の孫娘が今年から1年生になった。1ヵ月前までは6年間通った保育園で、好き勝手にやっていたのが、1年生になった途端に自覚がでてきたのか、何をやるにも自分でやるようになってきた。
しかしながら環境が変わったことで、子どもながらに緊張しているのか、それとも体力の限界か? 学校⇒学童(ちびっこハウス)から帰ってくると、睡魔に襲われ「ばたんきゅう」と寝てしまう。最近は運動会の練習で、ますますお疲れのようである。
この孫娘の授業参観が25日にあった。娘(親)から「どうしても行けない、子どもが何で来ないのかと泣く、どんなに説明しても分からないので、おじいちゃんかおばあちゃん少しの間でもいいから行ってくれないか」とお呼びが掛かった。「さあ出番」と聞いた時間より少し早めに出掛けて行ったところが、様子が一寸変である。最近の学校では、帰り支度を授業参観で見せるのかと思いながら見ていたが、やはりおかしい隣のお母さんに、何時から授業は始まるのですかと聞いたら「1時30分から始まり帰り支度をしているところです」という答えが返ってきた。
何のことはない時間を間違えていたのだ。帰って詳しく聞くと、始まる時間はこの子の5年生のお姉ちゃんとおばあちゃんとのやり取りで、2時15分から始まるということだったらしい。「中途半端な時間でおかしいと思ったが」というおばあちゃんの弁。誰を怒りようもなくあ然としたが、打つ手なしのあとの祭りであった。
当の本人は学校で、小生の姿を見るや否や「先生おじいちゃんが来た」と先生に教え、先生も苦笑いをしながらこちらを見て会釈をしてくれた。顔を見せただけで安心をしたのか、満足したのか?その日1日上機嫌だったのが救いであった。
学校の先生の子どもは、運動会でも両親が揃う方が少ないので、子どもは可哀想だが、その分おじいちゃん、おばあちゃんの出番が増え、何やかやといいながらも楽しんでいる。
我が子のときはどうであったか、「(企業戦士で)会社一本であったお父さんがいなくて、母子家庭であった」と子どもは何も言わないが、つれあいがこぼす。心の中で少し反省!(彼方)




